こんにちは。はじめまして。キリオと申します。
簡単に自己紹介をします。就職氷河期になんとか社会人になって、約20年のサラリーマン生活をおくってまいりました。どこにでもいる中年の普通のサラリーマンです。平凡な人生ながらも、この約20年はそれなりにいろいろあったと思います。
組織の中で生きていく良さも一応理解できますし、息苦しさや不条理も分かるつもりです。また、この先も、平凡なサラーリマン生活を過ごすことになるだろうという、ある程度先も見えてくる歳にもなりました。
一方で、50代も視野に入るりつつあるこの頃、人生、このままでよいのかな?という思いも強まっています。人生、このままで良いのか?という意味は、単に、出世して有名になりたかったとか、金持ちになりたいとか、という願望や後悔、焦りといったものではありません。
時代の変化は加速化していると感じますし、今が時代の転換期の中にあることは誰もが認めることでしょう。大きく時代が変化する中で、このままでよいのでしょうか。
中年ではあるが、高齢でもなければ若くもない。今さら人生をやり直すことや大きく軌道修正することも難しい年代だと思います。激しく変わりつつある時代の中で、今までのようなモデルの人生をこれからも送り続けることができるのか?という漠然とした不安かもしれません。難しい時代環境中で、この先、いったいどうしていけばよいのでしょうか。
いろいろ考える中で出てきたひとつの結論として、飛躍はしますが、これからの大事なこととは、個人の発信力だと考えるようになりました。
特に、大きな声をあげようようとも思いませんし、何かを声高に主張するつもりもありません。また、仮に発信したところで、誰かの耳に入る代物でもないでしょう。ただ、発信というのは、自分の経験や考え、分かったことを語るような「居場所を作る」という意味で、ささやかながら大事なことだと感じています。
発信の重要性は多くの方が強調されますので、あえてキリオが言うほどでもありませんが、これから社会に出る方、というより…、まず自分自身に向け、理由や背景等を述べていきたいと思います。
インターネットの時代の価値とは、個人の「発信力」です。行動し自分の発信力を高めるべく、試行錯誤しましょう。焦る必要はありません。
「今」と「これから」の時代の違いについて
時代は変化し続けています。
まず時代の「今まで」と「これから」を切り取り方として、以下の言葉で整理ができます。
一つ一つを解説しますと厚い本になるため、簡潔に述べます。
冷戦終了後、グローバル化で競争が激しくなる一方、人の好みや趣味趣向、価値観が多様化し、全員が同じ方向を向く時代ではなくなりました。
良くも悪くも、今は個人はバラバラです。以前は、生活水準や価値観も同質的で、よく言うように、皆が同じテレビ番組を見る時代でした。
しかし、インターネットの登場により生活スタイルも一変しました。
2000年初頭に携帯電話が爆発的に普及により、インターネットによって、人々がつながる時代が本格化しました。今日では、インターネットにより様々なサービスやSNSが登場し、その表現や通信手段は、長文から短文へ、さらに、動画へと多様化し、誰もが簡単に発信可能となっています。
かつて、個人は集団や組織あるいは旧来の価値観に埋没せざるを得ませんでしたし、マスコミのように一部の特権的な人しかできなかった「発信」が、今は、「個人」が容易にできる時代なのです。
発信が容易にできるようになった環境に加え、寿命も延びています。「ライフ・シフト」で言われるように、「100年時代」と呼ばれるように長寿化が進んでいます。
さらに、働き方や雇用も変化しています。一生「一つの職場」から、転職や副業や複業という働き方も増え、終身雇用は終焉を迎えつつあります。
変化のスピードが加速し、世の中のあり方は、「多様化」「流動化」し、「組織」から「個人」に移り変わる中で、今後「個人」はどのように歩めばよいのでしょうか?
ライフプランやキャリアプランをデザインしなければならない時代
「個人」の時代は、自分のキャリアや生き方に戦略性が求められます。
以前は、その事に特に自覚的である必要はなかったかもしれません。一つの職場や組織に属して、比較的安泰な時代が続いてきたからです。
自分が将来どうなりたいか。どうしていきたいのか。何を大事にするのか。その答えを自分で見出さなければならない時代です。
学校はどう生きていくのか、しっかり考える機会を残念ながら与えません。気がつけば社会に放り込まれているのが、実態ではないでしょうか。
学校はどうすればよいのかを教えてくれませんので、個人は若いうちから価値観や、ライフプラン、キャリアを戦略的に考えていくことが必要です。
いろいろ試しながら、発信していく
もちろん、頭で考えるほど物事は単純ではなく、必ずしも計画通りには実現しません。変化が早い世界ではいつも軌道修正も必要です。
一方で、自分自身の強みや好きなこと、得意なことが最初から自覚できてている人も少ないのではないでしょうか。
ましてや、これからは「発信」が大事と言われても、自分は発信できるようなものも何もないよ…といった反応が返ってくる気もします。(私もそうした反応をする人間です。)
個人の発信力が重要な理由
個人の発信力が大事になった理由は、あらゆる人がインターネットで繋がる世界となったからです。
インターネットの発達が、「個人」の時代を招いたといっても過言ではありません。
インターネット以前は、マスコミに代表される「大きな声」のみか流通していましたが、ネットの登場により、個人の「少数の声」が発信可能になりました。
少数意見であっても、自分の発信が、この世界のどこかの人に届けられ、共感を得られることを可能にさせています。(もっとも、ブログが誰かに届くかどうは別問題で、独りよがりかもしれません。もし、誰かに届くようであれば、ラッキーぐらいに考えておいたほうがよいかもしれません。😜)
以前には考えられないことがまさに起きています。
発信力をつけるには、どうしたらよいでしょうか
発信力をつける特効薬があるかどうかキリオは分かりません。
少なくとも、発信を意識をし、とにかく日頃悪あがきするしかありません。
最初から質の高い発信ができる人は多くはいません。発信力は、経験や学びの熟成が必要だからです。
とにかく試してみながら、発信につなげる
しかし、発信力が高まらないからといって焦る必要もありません。
何かを掴み、それが見つかるまで、試行錯誤とアウトプットを繰り返しましょう…。というしかありません。良いと思ったことは、即何でも行動し試す。アウトプットの頻度が高ければ高いほど、発信の可能性が出てくるはずです。
また、「インプット」の方法にも変化が必要です。従来「学び」は、質を高め、ようやくアウトプットできるイメージでした。
しかし、今後はインプットしたことを、即アウトプットし、頻度をあげてゆくスピード感が求められているのかもしれません。
良いと思ったことを試してみる
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。
変化が早く、不確実な時代は、その正解など誰にも分かりません。
取返しがつかない失敗がなければ、軌道修正すればよいだけです。立ち止まったまま、何もしないわけにはいきません。
「発信」は、試行錯誤を繰り返していく中で、自分は何が好きなのか、何が得意で向いているのか、やりたいことが、おぼろげながら、つかみ取るもののように思えます。
個人の時代は始まったばかりです。立ち止ることなく、まず行動し発信しましょう。
「発信力を鍛えるためにブログ始めます」のまとめ
インターネットは、単に情報を得る道具ではなく、誰かに向け発信を可能にさせました。
「個人」の時代には、「発信」していくことが重要です。そして、誰もが発信することを模索しているはずです。試行錯誤しながら、模索していきたいものです。