若い世代を中心に“FIRE”(Financial Independence Retire Early)が世界的なムーブメントになっていると耳にします。
同じようなアイディアに、例えば、「経済的自由(Financial Independence)」や、「永遠の旅行者(Permanent traveler)」という考え方もあるでしょう。
「経済的自由」を得たいと考えますが、果てしなく遠いとも感じます…、しかし、やりがいがないとも感じてはいません。
現実はともかく、経済的自由についていろいろ考え方はあるでしょうが、個人投資家や多くの人にとってのテーマたりえるのではないかとも考えています。
ところで、経済的自由について、その手法や実現手段に書かれている記事は多く見られますが、「なぜ」経済的自由か、その点について言及しているものはあまり見ないようにも感じています。
あなたは、経済的自由を得たいと思いますか?
また、なぜ経済的自由を得たいのですか?
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考えるようになったキッカケ・振り返り
この記事は、自分の過去(学生時代)に向けて書く側面もあります。
一口に経済的自由といっても、何の為かが分からなければ、ゴールにたどり着くことも難しいのではないでしょうか。
また、経済的自由について意識したことがなかったならば、考えるキッカケになればと思い書いています。
自分自身が経済的自由を考えるようになった、キッカケを簡単に振り返りたいと思います。
山一証券と北海道拓殖銀行などが破綻した翌年、バブル崩壊後の不良債権問題が毎日のように取り沙汰される、不景気感が漂う時に就職活動を経験しました。
自分自身は、学生時代に打ち込んだことやアピールできることも持ち合わせておらず、キャリアプランや今後どうしたいかの明確な展望もありませんでした。(そんな状態ですから、就職氷河期であろうと関係なく、当然、苦労するよと言われても仕方がないかもしれません…。)
ようやく、とある会社の内定を掴めましたが、蓋を開けてみれば、社風が硬直的で重苦しい。
残業は多く、給料も決して高くない。社内で対立があり、人間関係も良くない。士気は決して高くない。毎日が、息苦しい…、いわゆる「ブラック企業」だったと思います。(某サイトでも度合いを相撲に例えて、「大関級」とありました。その真偽はともかく、やはりブラック企業だったのでしょう。)
配属された部署のそばに、社員追い出し用のリストラ部署があり、見せしめか、ストレスいっぱいの想い出しかありません。(立派なハラスメントだと思います。)その部署には、入社3年目の人もいて、半年以内には姿が見られなくなりました。自分もいつかそこに行かされるのかもしれない…。
そんな不安に苛まれました。
また、退職者も多く、月末の最終営業日になると、あの人も転職してしまう…とささやかれ動揺していました。(今では、麻痺して慣れっこですが。)この会社には、たぶんずっと居られない…。
いつ会社から離れても生きていけるようになりたい。「経済的自由」への思いが強まっていきました。
経済的自由を目指す理由
さて、ここまでは、個人的であり特殊かと思いますので、多くの人にとって経済的自由を目指す理由についてを一般化していきたいと思います。ご参考にしていただければ幸いです。
私が考える、経済的自由を目指す理由とは、以下のような理由に備えるためではないかと考えています。
- 人的資本は逓減していく
- 環境的な側面、仕事や人間関係は選べない
- 好きで選んだ仕事でも成長が止まるし、いつかは飽きがくる
- 仕事は大切であるが、仕事だけが人生ではないはず
- 大切な人や家族を守るため
人的資本は逓減していく
誰もが歳を重ねて老いていきます。悲しいですが現実です。勿論、経験を積むことやスキルや専門性などが高まることなど、余人をもって代えがたい状況になることも否定はしません。
しかし、日本は年功序列が支配的で(今後、必ずしもそういう動きとは限られませんが。)、若いうちは給料が安く、年齢が高くなるにつれて給料が上がっていきます。
年齢が増して人件費も上がれば、希望退職募集やリストラの対象となります。組織である以上、自分の代わりはいくらでもいると、念頭においた方が良いでしょう。
若い時は、学習効果などもそれなりに高いかもしれません。しかし、吸収力や柔軟性、体力は低下し、若い時のように潰しも利きません。年齢が増せば、一般的に市場価値は落ちていきます。
環境的な側面、仕事や人間関係は選べない
組織に所属すれば、希望や意志と関係なく配属が決定されることが多いといえます。
適性や希望に合えば、特に問題はないでしょうが、必ずしもそうとは限りません。
体育会系のむちゃくちゃ厳しい部署に配属される可能性だってあります。もし、自分の適性等に合わなければ、苦しいでしょう。
例えば、会社以外に収入源があるならば精神的には楽でしょうが、なければ、会社に居続けるか、転職かの選択肢に限られるのではないでしょうか。
仕事内容もサラリーマンである以上、選べにくいです。また「あるある」ですが、早く帰りたい時に限って、明日までと無茶ぶり的な仕事がふってきたりもします。終わらなければ、深夜残業や休日出勤もあるかもしれません。
仕事上の人間関係も立ちはだかります。学生時代と違い、自分と合う人だけと一緒にいればよいという訳ではありません。当然、職場の飲み会やゴルフへの参加等の圧力もかかってきます。
社内の友達も、所詮、多くは組織という前提の関係ですので、学生時代の友人関係とは別物でしょう。転職して離れてしまうと、話題などもなかなか乏しくなります。
また職場には、価値観が合わない人、何かと怒鳴る人、意地悪な人、ライバルやプライド意識が高い人がいたりします。
ましてや、自分と合わない上司に遭遇すれば、消耗させられます。仕事で疎外感を味わう経験するかもしれません。そうした環境で頑張り続けるには、限界があるでしょう。
好きで選んだ仕事でも成長が止まるし、いつかは飽きる
例えば、やりたいことが学生時代から明確であるなどし、望む仕事につけられる幸運な人もいるでしょう。
あるいは、配属された環境で、自分にピッタリあう仕事につく可能性もあるかもしれません。また、新しい仕事に就けば、仕事を覚える間は充実した時間が過ぎるでしょう。
しかし、いくら新しいことを学び成長が続いても、いつかは頭打ちとなります。たとえ、それが自分にとって天職であったとしても…、でしょう。
さらに、世の中において、技術の高度化や変化のスピードは早まっています。高度で時流にのったスキルを習得していても、あっという間に陳腐化し、使い物にならなくなる恐れもあります。
人的資本の逓減でもお話しましたとおり、すぐ新しいスキルを習得できれば、キャッチアップできるでしょう。しかし、年を取ればその吸収も難しくなるでしょう。
また、同じことがずっと続けば、習熟化される一方で、マンネリ化も進み「飽き」がきます。どんなに夢中であっても、いつかは退屈で楽しくはなくなるかもしれません。
長い職業生活で10年20年と続けば、耐えられなくなる恐れもあります。自身の伸び代が減った時、それは果たして豊かな職業人生でしょうか。
仕事は大切であるが、仕事だけが人生ではないはず
仮に1日8時間働けば、1日の三分の一近くは労働時間です。長い人生を考えた場合、仕事の時間はほぼ人生の大半を占めるといえるでしょう。
しかし、残りの三分の二は、仕事以外の睡眠や生活、運動、趣味、勉強、子育てや介護、あるいは大切な人と過ごす時間でもあります。三分の一の時間だけが、あなたの人生でしょうか?
無論、寝食を忘れ仕事に没頭しなければならない時もあるという意見もあるでしょう。一つの意見ではありますが、仕事だけが人生ではではないことも確かであります。
少なくとも、死ぬ間際に、人生は仕事だけだった…となるのは、まっぴらご免であります。
大切な人や家族を守るため
経済的自由とは、単にお金持ちになって贅沢な暮らしをしようという考えではありません。
経済的な自立を得ることで、お金ために働かせられるのではなく、自分の人生の選択権を取り戻そうという考え方であります。
一方で、無論、お金さへあれば、全て解決でするのか?という意見もあることでしょう。人生の諸問題がお金で解決できる訳ではないことも事実ではあります。
例えば、幸せな人生を送るのに必要な大切な価値、それは愛情であったり、健康であったり、家族や子供の成長など、お金で買えないことも数多いでしょう。
しかし、お金で解決できるのに、お金がないために解決できないこと、例えば、子どもに教育や経験や機会を与えることができない。それは不幸といえるのではないでしょうか。
お金があるが故の不幸ももちろんありますが、お金があれば、大切な人や家族を守ることもできます。
「誰もが個人投資家として経済的自由を目指す5つの理由」のまとめ
経済的自由の追求は、人生のグリップを自分の手中に収めようという考え方に他なりません。「働く自由」と「働かなくても良い自由」の選択肢を手に入れることこそが、経済的自由だと誰かが言っていましたが、まさに同感です。
特に触れてはきませんでしたが、経済的自由の考えるにあたっては、木村剛著『投資戦略の発想法』(講談社刊)が参考になりました。残念ながらすでに絶版で、著者も表に出なくなりました。
しかし、とても価値がある名著だと思います。いろいろ経済的自由を目指す理由について述べてはまいりましたが、最後は、この本の冒頭に書かれていることに行きつくのではないかと考えています。
“財政資金を垂れ流して借金を膨張させ続ける日本という国に多くを期待してはなりません。政府はあなたを守ってくれるどころか、足を引っ張る役回りを果たすことになる可能性が大きいと思います。政府があなたを守ってくれないのであれば、自分の力で自分と自分の家族を守るしかないのです。危機が起こったときに、助けてくれない政府を恨んだところで手遅れなのですから。
「投資戦略の発想法」
無能な政府を信じて悲惨な状況におちいるくらいなら、いまのうちから自分と自分の家族を守って生き残る方法を考えるべきです。自分と自分の家族を守る ― それが投資戦略の中核になければなりません。そのために投資をするのです。
人生は意外に長い。死ぬまでの期間を家族とともに豊かに楽しく暮らすためには、財政的な裏付けが絶対に必要です。将来に向けて、何が起きても生活に困らないよう、必要な財産形成を計画的に直実に行うべきなのです。“
経済的自由を目指すことで、自分の選択肢を増やす努力をしていきませんか?